むく@いじめ体験談【朗読】


むくは、実は、ずっとイジメられ続けてきた 臆病で人見知りの激しいイジメられっ子でした。
しかし、今は、それを乗り越え、人前で歌を歌えるまで強くなりました。

イジメやメンタルで悩んでいる方々にエールを送りたくて、今、どこかで泣いてる誰かのお力になりたくて。。。
微力ですが、そういったブログも書いています。(心に 自分と似たような傷を持つ方々を筆頭に、応援しています)

私のイジメ体験談と、つまらない私の学校生活&自分探しの旅の記憶ですが、何かのお役に立てればと思います。
(私自身、まだまだ弱いので、日々奮闘中ですが。。。^^;)



こんにち和、仁王の
むくです。

仁王軍の皆様、いつも本当にありがとうございます(感謝)


この度、仁王のホームページ「仁王軍本陣@仁王幕府 」を建ち上げてからというもの、
ありがたいことに、多くのお問い合わせをいただいている項目がございます。

それは、仁王の芸暦(ディスコグラフィー)の中に記されている舞台「地球のひびき・・・受響」の公演の第二部にて、
むくが披露させていただいた朗読についてです。

これは、私
むく自身が実際に受けてきたイジメの体験談の しがないレポートです。
(作文にも満たないような文章力の足りないヘタレポートですが・・・)
それでも、読みたいというお声を数多く寄せていただき、本当にありがとうございます・・!

文章力も無いし、色々と至らないヘタレな作文ですが、
それでも、
どこかで泣いている誰かのお役に、少しでも立てればと思います。

なので、当時、公演の際に読んだ原稿を、此処でご紹介したいと思います。


少し長編になりますが、何卒お付き合いの程宜しくお願い申し上げます。。(><*)



                             むく。

 


※「地球のひびき・・・受響」↓詳細↓
********************
開催日: 2009年 11月 23日(月)
会場: 赤坂区民ホール
舞台「地球のひびき・・・受響」
ゆか・主演、むく・朗読

チケット(全席自由)\2,000-
(第1部・お芝居…90分)ゆか 主演
(第2部・作文…30分)むく 朗読(イジメ体験談)
※ラストに「花咲色舞」披露。
********************



〜イジメ朗読(本文↓)〜



いま、この同じ星のどこかで独り凍えて泣いている誰かへ。
みんなどこかで傷を抱えて泣いている仲間なんだよね。
あなたがいて、僕がいて、私がいて、みんながみんなそれぞれ悩んでて・・・
きっと、ひとりじゃないから。大丈夫!!



皆様、こんにちは、はじめまして。
私は、先程の第1部のお芝居で 美鈴役をやらせていただいた「
ゆか」の姉であり、相方の「むく」と申します。
ゆかとむく、2人あわせて「仁王」というユニットで、今年4月8日にCDデビューし、ライブや ラジオで活動させていただいております。

今回、私は、お芝居の中にこそ出番はありませんでしたが、
その代わり、こうして、「いのち」についての想いを熱く語れる貴重な場をいただきました。

ありがとうございます。


この貴重な場ですが、
ここは、あえて、私・むくの実体験を・・・
イジメについての実体験を 赤裸々にお話したいと思います。

作り話ではなく、これは、リアルな体験談です。

乗り越えることができた今だからこそ語れる、私のイジメ体験談です。

きっと、私なんかより、もっともっと辛い思いをされて、もっと深い傷を負われていらっしゃる方も多いはずです。
私なんぞの小さな人生ですが、もし、今、どこかで傷つき、泣いている誰かのお力に、少しでもなることができれば幸いです。


短い間ですが、どうか、お付き合いください。






むくは、昔、
ひっこみじあんで、小心者で、やや内向的な子供でした。

小学生の頃は転校も多く、父の仕事の都合でアメリカに住んでいたこともありました。

アメリカでも、学校がいくつも変わりました。
勿論、引越しもありましたが、
私たちが住んでいた地域の学校のシステムは、1年生から3年生がエレメンタリースクール、4年生から8年生がミドルハイスクール・・・といった具合に、ただでさえ しょっちゅう学校が変わっていました。

そして、もちろん、みんな英語なのです。
ただでさえひっこみじあんな私は、友達づくりが上手くできないでいました。

現地は、登下校もほぼ全てが車やスクールバスなので、
私は、日本の子供のように、学校帰りに公園に寄ったり、友達の家に行ったり、コンビニへ行ったりなど、
そういった事は本当に何も知らずに日本に帰国しました。

帰国当時、むくは、小学6年生でした。

日本の学校では、テレビ、ドラマ、CD・・・といった「げいのうじん」が、流行っていましたが、
むくは、「げいのうじん」を、誰一人として知りませんでした。

友達とのコミュニケーション・・・
友達作り、友達付き合い、
・・・友達の作り方が下手くそな上に日本の流行りもわからなかった むくは、
そのままわからないまま、
流行にも乗ることができず、たった数ヶ月だけ小学校生活を過ごし、卒業しました。


まだまだ 臆病者だったのです。


しかし、

今の私になら簡単にできることも、当時の私には 大きな大きな 壁でした。


やがて中学に入ると、
そんな小心者でおとなしい「帰国子女」は、徹底的なイジメの対象となりました。


「あいつってさぁ〜、むくってさぁ〜、ほんっっっとうに、
この世で一番いらない存在だよね〜。」


中学3年間、何度も何度も、ひたすらよく耳にした台詞です。



この世で一番いらない存在」―――――――。



当時は、とにかく本当に色々なことがいっぱいいっぱいで、
本当に何も―――――




なにも、できませんでした。






イジメ、高校受験、内申書、内心点、塾、イジメ・・・・。


上履きには、ガビョウや針金が よく入っていたし、
給食当番表や掃除当番表に書かれた私の名は、その殆どが赤いペン等でグシャグシャに塗り潰されていました。
時には、体操着が行方不明だったりと、それはそれは 色々な事が、ありました。

教室移動ともなれば、
気が付くと誰もいないし、どこの教室に行けばいいのかも、わからない。
ようやく、数学室に辿り着くと、みんながクスクスと笑っていて・・・・。

授業中、とある男子が、
私を題材にしては変にデフォルメしたそれはそれは不細工な似顔絵を描き、
それをクラス中の皆に回しては、私以外の皆でクスクスと嫌味な笑みを浮かべ、
こちらをチラチラと見ては不細工な似顔絵と見比べ楽しそうに笑っている…
…という事もありました。


体育の授業も地獄の時間でした。

私は常に見張られており、
バスケやバレーボールともなれば、
「むくさん、もっと右でしょ!?ちゃんと動いてくださ〜い!」等と、注意をされるかのような罵声にも似た声を浴びせられ、、
事あるごとに尽く厳しい言葉と冷たい視線に追い回され、
試合に負けたら最後、

「今回さぁ、負けたのってさぁ、絶対あいつのせいだよねー!」、

「どっかのチビで暗い誰かさんがドンクサイから負けちゃったじゃんねー!」、

「足ひっぱらないでくださーい!」と、罵られる。




合唱コンクールや音楽の授業では、

「むくさん、ちゃんと声出してくださーい!」、
「はぁ?聞こえませーん!」等と怒られ、

それで声を出せば、

「あいつ、音痴なんですけどー」、
「ちょっとぉ〜、誰かさんのせいでハーモニーが乱れるんですけどぉ〜?!」、「下手くそ!」・・・・・。



こうした事の日々の積み重ねは私の心を少しずつ壊し、もう心が限界に近付き、潰れかかった私は、

いつしか、集団行動がトラウマになり、
音楽も、体育も大嫌いになりました。

私は運動オンチで、歌も下手くそなんだと、
自信くなりました。




むくには、何もできないんだ・・・。



むくが喋ると、みんな しらける。
むくがクシャミをすれば、うるさがられ、
むくが音を立てると、いっせいに 寒い目で 睨まれる。



いつしか むくは、
自分の存在を消すことに専念するようになっていました。


私がいなければ、誰も、嫌な気はしないだろうから。



自分の存在を 殺して、殺して・・・、
小さく、小さく・・・ 消して、消して・・・
誰にも見られないように、小さく、小さく・・・




イジメがエスカレートし、むくの精神は、いよいよ限界になっていました。

ついには、
給食のサラダ等を食べる際、
噛む時などに必然的に鳴ってしまう、あの「シャキシャキ」という極僅かな効果音ですら立てぬよう、
息を潜め、ビクビクと 存在を殺しながら 学校生活を送るようになっていました。


何よりも、休み時間と給食の時間が 恐怖でした。





その当時は、「イジメられていることは、とても情けなくて カッコ悪いことだ」と思っていたので、
とても恥ずかしくて、親にも、
誰にも言えないでいたのです。

特に、親には、とても自分がイジメられているだなんて、絶対に言えませんでした。

心配も、かけたくなかった・・・。


けど、
ただ 一度だけ 夜泣きをし、「学校なんか行きたくない」とダダをこねたことは・・・ありました。



むくの話し相手、遊び相手は、妹の ゆかと TVゲームだけでした。

そして、唯一、絵を描くことが好きだったので、
いつも、現実から逃げたい時は、絵を描くか、ゲームばかりしていました。


好きなことをしている時だけは、嫌な現実を 忘れられるのです。



そんな ある秋の日、地元で お祭りがありました。
秋の地元の一大イベントです。
ちょうど学校帰りに寄れる広場で、そのお祭りには私の大好きなTVゲームのお店の出店もありました。


私がイジメられていることを知らない祖母は、
「お祭り、楽しんでおいで」と 一万円のお小遣いを くれました。

私は、おばあちゃんからもらったお小遣いで新しいゲームを買いたくて、
その一万円を小さく折りたたみ、制服の内ポケットに しまいました。
学校にお金を持っていくことは校則違反だったので、小さく6つに折りたたみ、制服の内ポケットに、こっそりと入れたのです。


ところが。


お祭り当日の体育の授業が終わり、教室に戻ってくると、
おばあちゃんの一万円は、
制服の内ポケットから 消え去っていました。


教室の後ろのほうのストーブのまわりでは、
数人の男子が、
6つに折りたたまれた1万円を、投げてはキャッチし、ニヤニヤと笑っていました。


まさか、お金に名前なんて書けません。
あのお金が、私の物だという証拠もありません。
そもそも、学校にお金を持っていった私が悪いのです。


とても、「それは私のだから 返して」なんて言えませんでした。


お金については諦めがつきますが、今でも、心はとても痛みます。
なぜなら、あの一万円は、おばあちゃんがくれたものだったからです。

おばあちゃん、本当に、ごめんね。




しかし、このお祭りの特設ステージで、
未来の
むくが アーティストとして歌を歌う日が来るだなんて、
この頃の
むくは、知るはずもありませんでした。

2009年、秋。
我々「
仁王」は、このお祭りで2日間、ライブをやらせていただきました。



何故 あんなにもイジメられっ子だった 引っ込み思案なむくが、今の仁王のむくになったのか?
・・・話はもう少し、続きます。



むくは、絵を描くことが好きでした。
なので、高校は、美術専門の高校に進みました。

「この高校なら、今までの ブザマなイジメられっ子の私を知る者は いない。」


「変わるなら、・・・いまだ!!!!」


むくは、思い切って、今までの自分の全てを真逆にすることにしたのです。

暗かった性格を、明るく・・・!
内向的だった性格を、誰とでも話せる楽しいキャラクターに・・・!

・・・と、ここまでは、良かったのですが、


黒い髪の毛から 茶髪に変え、
服は、渋谷の繁華街で買うようにし、
厚底のヒールの靴を履き、
あたかも、強そうなキャラに・・・当時 自分の中では怖いと感じていた、「ギャル系」になろうとしたのです。

「ギャル系になれば、もうイジメられない」と考えたからです。


さらに、自分の中で「絵を描くこと」と「TVゲームをすること」は、
=(イコール)情けないブザマなイジメられっ子・・・つまり、今までの情けない自分の象徴なので、
せっかく 美術の学校に進学したくせに、美術は大嫌いで、ゲームもあまりやらなくなりました。
そのかわり、芸能人や、アイドル、ギャル系のファッション雑誌ばかりを見るようになりました。

美術の学校なのに・・・。



そうして、自分に嘘をつき続け、無理な自分を演じ続け、背伸びをしたまま、時が経ちました。


そんなある日・・・



むくは、派手に、足をくじいてしまいました。

厚底の靴を履いた足は、履きなれない履物に根を上げ、ついには身を滅ぼしてしまったのです。



自分に嘘を吐き続け 中途半端な気持ちで築いた その頃の人間関係は、
言うまでも無く、それはそれは薄っぺらなものでした。


むごく、痛く、悲しくも、信じていた人たちに 裏切られ、
むくは、ドン底に転がり落ち、ついには 人間不信になってしまいました。

心は病み、頻繁に血尿に襲われ、毎晩夜泣きがおさまらず、自傷し、闇の負の連鎖に囚われ・・・。
自分なんか大嫌いで、人に迷惑をかける自分も許せなくて、
でも、死ぬのは恐くて、そうやって落ち込み、傷つき、そうすると、自分の大切な人たちに迷惑がかかる・・・
迷惑をかけてるそんな弱い自分が許せなくて、嫌いで、嫌いで、大嫌いで・・・
・・・でも死ぬのは恐いから、いっそ、この世から消えちゃうことができたらどんなに楽だろう
って。。。
その負の連鎖を繰り返し、
心は壊れ、堕ちるばかりで、なかなか泥沼から抜け出せず、もがいていました・・・。


人間不信になり、病み、ヤケクソになり、ひきこもり、
・・・・毎日毎日TVゲームをプレイするようになりました。

絵を描くのを再開したり、コスプレを始めたのも、この頃からです。

始めは、現実逃避でした。


コスプレを始めた理由も、
「ゲームの中に出てくる 大好きなキャラの隣に行けるから」というものでした。

しかし、いつからか、物を作ることの楽しさに気がつき、
それに生き甲斐をも感じるようになっていました。



この時、改めて感じたことがあります。



自分と向き合い、素直になり、
自分が真に好きなことをしている時が、最高に幸せで、楽しい―――。



生きているんです。自分が。



長い時間、失い、探し、彷徨っていました。

ようやく本当の自分を見つけ、
本当の自分を許すことができました。



するとどうでしょう。



無理な自分を演じなくとも、自然と友達ができるではありませんか。

しかも、薄っぺらな友情ではなく、
心と心で繋がれる、確かな、絆。



毎日が楽しく、毎日が カラフルな色と 笑顔に満ちている。


雨が降らなくては、花は咲けません。

  

あのイジメられっ子だった臆病者は、
今、ここ 舞台の上で、
堂々と胸を張り、ブザマだった自分の全てをさらけ出せるようにまで 強くなりました。


まだまだ越えきれていない壁も沢山ありますが、
それでも、こうして、自分の色に自信が持てるようになれたからこそ、
今の私が、ここにいるのだと思います。



アメリカ生活にも感謝しています。
幼い頃に見た あの広大な景色や 思い出から生まれる 我々仁王の豊かな発想力は、
あの数年のアメリカ生活が無かったら、培われていなかったでしょう。
貴重な体験をさせてくれた両親に感謝です。ありがとうございます。



そして、イジメも、裏切りも、それらが無かったら、
今の私は、ここにはいないと思います。

きっと、このような考え方もできなかったかもしれないし、
そもそも、「仁王」として花開いてはいなかったと思います。

裏切られた悲しみを誤魔化すために始めたコスプレも、
今や仁王の立派なスキルになりました。


だからといって、イジメや裏切りは許されることではありません。肯定はしません。


今イジメをしているという心当たりがある人は、絶対に、やめましょう。




この世に、いらない存在なんて、ありません。




さて、長くなりましたが、


今ここに
むくが立っていられるのは、むく独りだけのチカラではありません。

家族は勿論ですが、
特に一番、ずーーーっと むくを支え続けてきてくれた、大切な 大切な人がいます。

相方の、
ゆかです。

 


ゆかは、どんな時も、弱い私を ずーーーっと支えてきてくれました。
沢山たくさん心配をかけてしまったし、迷惑もかけてしまったし、いくら感謝しても足りないし、謝っても足りません(><)

大切な、大切な 相方です。
ありがとう。ごめんね。ありがとう。



そんな 2人で組んだユニットが、我々「仁王」です。

2009年4月8日に「花咲色舞(はなさきしきぶ)」という曲でデビューしました。




歌詞は、すべて
私たち仁王が思いを込めて書いています。



凍えて弱った
に、温かさを取り戻してほしくて、

今、この時代を 葛藤しながら
生きる 全てのに きますように、



・・・聴いてください。




花が咲いて、色が、舞いますように・・・


仁王の、花咲色舞 ――――



(朗読おわり)

お付き合いくださりありがとうございました・・・!!
ヘタクソな上に長文ですみませんでした(><)






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全ての命に 花が咲いて色が舞いますように

since@2009.4/8.仁王、降臨!〜Thank you for all 仁王軍!〜

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